COLUMN

守るべきルールと変えるべきルール

2015年07月

僕は通勤の際、JR蒲田駅の東口から職場に向かうのですが、
そこにあるエスカレーターは、朝のラッシュの時間帯には結構込み合います。
時々、割り込みと言いますか、人が並んでいる列の横をスルスルと素通りして、
列の先頭の横からサっと入ってエスカレーターに乗ってしまう人がいます。
もしかしたら、何らかの理由で急いでいるのかも知れませんが、
きちんと並んでいる人には関係ないことで、迷惑千万です。


ここで考えてみたいのですが、ルールを守るのと守らないのでは、社会全体としての効率はどうなるのでしょうか?


例えばですが、世界には列を作らない国があります。
並ぶべきだと思っている人はいるのでしょうが、割り込む人が一定数以上居れば、列は絶対にできません。
なぜなら、割り込む人の数が進む人の数(エスカレーターの場合はその輸送量)を超えてしまうと、
理論的には列に並んでも前に進めなくなるからです。
もしくは猛烈に遅れることとなり、並ぶことが“理論的に損”となってしまいます。


どんなに混んでいても一定の輸送量はあるのですから、滞りなく流れている場合には、
きちんと並べば、輸送量に見合った時間で全員が通過することが出来ます。
一方、どんなに急いでも輸送量は一定なのですから、全員が乗り口に殺到すれば、
事故やいざこざも発生し、滞りなく流れるよりは遅れる可能性が高くなります。
加えて、ストレスも発生しますよね。


日本の良いところは、こういったルールが無意識のうちに、
「そういうもんだよね」となり、社会で共有されていくところだと思います。
最近電車の中で携帯(で話す人)はかなり減りましたよね。
電車内の通路で座り込む若者も殆ど見かけなくなりました。


さて、経済学の用語で、「共有地の悲劇」という言葉があります。
牧草地を共有する複数の畜産農家が、“個々の利益のみ”を追求すると、個々の農家が放牧する家畜をそれぞれ増やすこととなり、
結果、牧草が不足し、家畜や土地が痩せ、全員が損をするという例えで使われます。


列を作らないという状況は、この例えに似ています。
エスカレーターというのは、単位時間あたりに乗れる人数は決まっています。
にも関わらず、我先にと列の先頭に割り込もうとするのは、
“個人”にとっては一番早いエスカレーターの通過方法かも知れませんが、
全員がこれを目指せば、極めて効率の悪い通過方法となってしまいます。
下手をすれば事故も起きるでしょう。
幸いにも、日本では列を守らない人はごく少数なので、このような状態にはなっていません。


「共有地の悲劇」の対策としては、限られた共有財産を皆で上手く使うためのルールの策定が有効とされています。
一部の人が独占したり、ある世代が使い尽くして無くしてしまわぬよう、守るべきルールを策定し、全員で賢く、長く使うのです。
我々が列をつくるのは、長い間に培った知恵であり、文化とも言うべきルールです。


ところが、列には並べる日本人ですが、一方で崩壊しつつあるルールもあります。
時々話題になる学校の給食費の未納率は現状1%未満ですが、未納の原因を見ると驚きます。
「保護者としての責任感や規範意識の問題」がなんと6割超で、「経済的な問題」は3割に過ぎません。
国民年金の納付率は6割ちょっとで、これは「納付率が改善した」といった文脈で先日ニュースになっていました。


食べる、もしくは将来貰うつもりなら、本来であれば受益者負担で支払いをするのが当然(経済的理由の人は除く)と思いますが、
そう思わない人がじわじわと増えているような気がして恐ろしくなります。
ルールは一定数以上の人が守らなくなると崩壊し、一旦崩壊すると、
それを再構築するには膨大な時間とコストがかかるようになってしまいます。


一方、ルールには守るべきルールと変えるべきルールがあると思いますので、これらは区別して考える必要があると思っています。
給食費の未納は論外ですが、年金などは納めない人が悪いというよりは、
時代が変わった(少子高齢化、人口減少、経済成長率の鈍化等)にも関わらず、制度を旧態依然として放置し、
世の信頼を損ない続けてきた“これまでの”有権者達が悪いと思います。(当然、僕も含まれます)
ちなみに僕は厚生年金ですが、文句は言いながらも健気に、真面目に支払ってはいます。


存続できないことが明らかなルール(年金以外にも沢山あります)を守れというのは無理があると思いますし、横暴です。
なし崩し的にルールが崩壊すれば、真面目にやってきた人が馬鹿を見ます。
解決を時間に任せるのは、責任放棄であって、未来の若者達がかわいそうです。


共有地=社会の共有財産は、子々孫々まで受け継いでいくものです。
残すものが、借金、負債、間違ったルールでは、恥ずかしくて子々孫々に顔向けができません。


子々孫々に良い社会を継承するには、近視眼的な発想で無く、
社会の共有財産を時間軸を持って適正に管理するという意識が大事で、
間違ったルールは我々の世代が正さなければなりません。
「自分さえ良ければ」または「今さえ何とかなれば」という発想は、未来の人には関係ないことで、迷惑千万なのです。

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