COLUMN

転んでも転がり続けるな

2015年08月

今回は、僕のお恥ずかしい話しを書いてみたいと思います。
僕は小学校から大学までずっと運動部に所属していました。
やっていたことはバラバラで、野球、陸上、水泳、ラグビー、柔道といった部活に所属していました。
(お恥ずかしながら大した成績はありません・・・)
それぞれの理由を書くと長くなるので省略しますが、基本は目立ちたいといった気持ちが強かったと思います。
なので、そのとき流行っていたアニメやドラマ、オリンピックなどの影響を強く受けていました(笑)
体力には割と自信があり(今では見る影もありませんが・・・)、高校までは、始めた部活を途中で辞めたりすることはありませんでした。


今回書くのは、僕の大学時代の話です。
僕は一浪で大学に入りましたが、浪人時代にバルセロナオリンピックがあり、そこで柔道の吉田と古賀が金メダルを取りました。
古賀は大会前に膝を痛め、出場も危ぶまれる状況で金メダルを獲りました。
吉田は前日に金メダルを獲っていましたが、実は大会前の練習で古賀がけがを負った時の練習相手が吉田で、古賀の金メダルが決まった瞬間に号泣、
その後、抱き合って心の底から喜ぶ2人の姿に感動し、僕は大学から柔道を始めたのでした。


僕が所属した体育会系柔道部は少し特殊で、寝技を主体とした「高専柔道」を得意とする柔道部でした。興味ある方は調べてみて下さい。
見栄えの派手な「立ち技」をやりたいと思って入部したミーハーな僕とは、最初からボタンの掛け違いがあったのですが、
元来真面目な性格からか(!?)、疑問は持ちながらも地道に頑張っていました。


そんな僕に転機が訪れます。
それは2年生の終わりの春休みに小遣い稼ぎで行ったアルバイトでした。
それまでは体育会系であることもあり、体力的にキツいので、ほぼ柔道と寝るだけの生活を送っていた僕でしたが、この時のバイトが楽しかった!
カワイイ女の子もいるし、会話も楽しい。
そしてそれまでとは違う世界(大袈裟な表現ですが、当時の僕には確かにそう感じられました)に衝撃を受けたのです。
そして思い出しました。
入学前に考えていた、「大学に入ったら色々なことにチャレンジしよう」という思いです。


体育会系に所属していると、肉体的にはしんどいのですが、
それが隠れミノとなって、新しいことへのチャレンジに頭を使わなくなっていました。
何も考えなくて済む分、ある意味で楽なのです。


人間誰しも、慣れていないことを始める時には、少なからず抵抗や不安があるものです。
それがストレスになったりもします。
僕は思いました。
体育会系柔道部に所属していることを言い訳にし、新しいこと、未知のことに挑戦することから逃げているのではないかと。


そこから僕の悩める日々が始まりました。
楽しいバイトは授業の無い春休みの短い期間だけでした。
それが終わると、クサい道着に着替え(柔道家の方スミマセン!)、柔道部で寝技を練習するだけの日々が始まりました。
柔道には集中できず、それに伴って戦績も落ちていくという悪循環に僕は陥りました。
一旦始めたことは続けるべきか、それとも新しい世界に踏み出すべきか、大いに迷う日々でした。
また、それまで部活を途中で辞めたことの無い僕には、辞め方が分かりません。
そして柔道部の仲間はとてもいい仲間だったと思いますが、柔道への愛着が強すぎて、
ある種、盲目的のようでもあり、とても相談できるような雰囲気ではありませんでした。


そこで僕は悪い決断をしました。
3年生の夏の大会を終えた後、僕は仲間には何も言わず、突然姿を消しました。


誰が見ても逃亡です。しかも4年生が引退し、3年生が幹部になる時期なので、
会社で言えば、役員が突然音信不通になるといった異常事態です。
明らかに異常事態なのですが、僕には言い訳がありました。
「僕は入学するときに思っていた、やりたいことをする。柔道もいいけれど、もっと広い世界がある。
このことは柔道部の仲間に言っても到底受け入れられないだろう。だから辞めて新しいことを始めるんだ」
完全に自己中心的な、他人には絶対に理解されない話なのですが、
人間、何かから逃れる時は自己防衛の理由を何かしら作り、それにしがみ付く習性があるのでは無いかと思います。
僕は大きく転んだのです。


そして、夏休みが終わり、仲間のいる京都に僕は戻ります。
当然柔道部には行かなかったのですが、当時お世話になっていたバイト先の店長に言われました。
「オマエ、逃げとったらアカンぞ!逃げは癖になる。逃げる奴は一生逃げ続ける。柔道部にいって頭下げてこいや。」と。


そこで、ようやくですが、僕は目が覚めました。
僕は間違いなく逃げたのです。
どこかに自分の行為を正当化しようとするもう一人の自分が居て、自分をごまかし続けていたのです。
店長に諭され、僕は同級生や先輩達、そして監督に謝りに行きました。
許されるわけもありませんが、自分なりのケジメを付けることは出来ました。
そして、自分の行為を猛烈に反省し、そして、店長の言葉を胸に刻みました。
「俺は絶対に逃げん!」


そこから新たな生活が、そして、新たな自分が始まりました。
辞めたからには、やりたいことを全部やる!そして逃げない!が方針として決まりました。
随分前の独り言に書いた、山小屋でのアルバイトやバックパッカーはその後のお話しです。
ミーハーなので、軽音バンドをやったり、学祭の舞台で目立ちたいと思い、ダンスサークルに入ったりもしました。
(今では全部忘れてしまいましたが・・・苦笑)


社会人になった後も自分のやりたいことを実行してきました。
新入社員の頃は、自分で会社を興したいと考えていたので、勉強のため、就職先はベンチャー企業にしました。
そこで働くうちに、やることは「モノづくり企業の支援」に決まりました。
自分に足りないモノを考え、経営をより高いレベルで学ぶため、コンサルと投資を行う会社に転職し、
その会社とは残念ながらケンカ別れをすることとなりましたが、
独立し、その前にはしばらく失業状態も経験しました。(失業はやりたかったことではありませんが・・・苦笑)
その後、ご縁あって大田工連にお世話になり、そして会社を興し、
今は仲間たちと共にモノづくりの農漁業分野への進出を目指した製品の開発を行っています。


柔道部を辞めていなければ、そしてケジメを付けていなければ、今の僕はありません。


人間誰しも、失敗はあると思います。
転んだ時に転がり続けるのか、もしくは立ち上がって進むのか。
また、その立ち上がり方、立ち上がった後の進む方向もとても大事だと思います。
そして、助けてくれる人々の存在も。


立ち上がって進んだ結果がいい結果となるかどうかは分かりませんが、いい結果となるように努力しまくればいいのです。
例え上手くいかないことがあったとしても、必ず何かに活きると思います。


ちなみに、柔道部には後日談があり、同級生のキャプテンとは彼の引退後に一緒に遊びに行ったり、
思いがけず僕が“先輩”となっていた海外放浪の指南をしたりといった関係になりました。


また、僕を叱ってくれたバイト先の店長は「恩人」として、今でもお付き合いをさせて頂いています。
京都に「一心」という鉄板鍋屋さんがあります。
京都では有名で、有名人も時々来る店です。
本当に美味しいので、京都に行かれる際は是非立ち寄ってみてください!

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