COLUMN

調査捕鯨にみる日本の交渉力の問題

2014年08月

 土用の丑が過ぎ、8月に入りました。土用の丑と言えばウナギ。
ニホンウナギがついにレッドリスト入りとなってしまいましたね。
 生き物ですから、一定以上の数を割り込めば、その数の回復は極めて難しくなります。
きちんと保護しなければ、食べるどころか本当にいなくなってしまいます。
 ヨーロッパウナギもかなり数が減少しているようなので、
近い将来、ウナギは今のように気軽には食べられなくなりそうです。
 当たり前のことですが、科学的見地から保護が必要とされるのであれば、がまん、がまんです。

 その一方で、違和感を感じてしまうのがクジラです。
 先日、南極海での日本の調査捕鯨が禁止される判決が
国際司法裁判所から出されたことが大きなニュースになっていました。
 クジラについては、調査の結果として、その頭数は一部のクジラを除き、
十分に回復していることが分かっています。
クジラは年率で4~7%程増えると言われており、有名なクジラの例を挙げると、
マッコウクジラは200万頭程、日本が調査捕鯨で獲っているミンククジラも、
南極海だけで40万頭程いると言われています。
対して日本が調査捕鯨で獲るのは年間数百頭程ですから、
種の保存の観点からはほとんど影響がありません。
 そもそも反捕鯨国は調査捕鯨をしていないので、捕鯨国を上回る十分なデータは持っていません。
反対の理由は、統計的なデータでは無く、「知能が高いから」とか「手法がかわいそう」、
「神聖な生き物だから」といった、どちらかと言うと感覚的なものが多いように思います。
 一方、調査捕鯨を行っている日本は、科学的なデータに基づいた反論材料を多く持っています。
何故裁判で負けてしまうのでしょうか?
 
 少し脱線しますが、そもそも食肉の調達源として捉えた場合、
クジラは問題になるのに、何故牛や豚は問題にならないのでしょうか?
 後者は生まれた時から人間に食べられる為だけに育てられます。
餌をくれる親切な人と思っていた人に、ある日突然殺されるのですから、十分にかわいそうです。
牛や豚に権利があれば詐欺罪で訴えられるかも知れません。
 また、「食肉として必要な分を生産しているので、自然界からの搾取ではなく問題無い」
といった主張もありますが、皆さんは世界の穀物の1/3が家畜用の飼料となっていることはご存知でしょうか?
 世界では、9億人が飢餓で苦しんでいます。これは実に7人に1人の割合です。
そのような状況の中、一部の裕福な国の人々の「肉」を食べたいという欲求に応える為に、
貴重な食糧が家畜の餌になっています。
 一方、クジラは野生ですから、飼料は必要ありません。
また、自然界に生きているので、負ければ死ぬことは本能で分かっていると思います。
また、恐らくですが、人間に殺されるより、シャチに襲われて喰われる方が
辛い死に方なんじゃないかなとも思います。

 クジラには大別すると、ひげクジラと歯鯨がいますが、前者については、
餌の多くはオキアミなどのプランクトンだったりします。
人間が食べるものではありませんので、食糧のバッティングがありません。
 人間は草食動物と違い、植物からたんぱく質を合成出来ないので、
たんぱく質を他の動物などから摂取する必要がありますが、そのたんぱく源として、
ひげクジラを、減らない程度に捕食するのは有効な手段だと思います。
 一方の歯鯨については魚を食べますが、これは人間と食糧のバッティングが起きます。
しかもあの体躯ですから、食べる量はハンパではありません。
一説では世界中の人が食べる魚の量よりも、クジラが食べている魚の量の方が多いと言われています。
 頭数が増えている種類のクジラについては保護をする必要があるのか疑問であり、
恐らく、近い将来にクジラの商業捕鯨は、放っておいても再開されると思います。
なぜならば、人間の食糧が不足し、家畜用に飼料を供給しているような場合では無くなり、
魚についてもクジラと競合するようになってくると思うからです。

 話しを戻しますが、捕鯨国の数からして、多勢に無勢は間違いありませんが、
反論できるデータをしっかり持っており、また、捕鯨の推進を望み、
その理由も持っているにも関わらず、何故交渉に負け、
裁判では簡単に敗訴に追い込まれてしまうでしょうか?
 交渉ベタ、主張ベタは今に始まったことではありませんが、もうひとつ、
争いを好まず諦めが早いのも日本人の悪い癖のように思います。
 きちんと主張しなければ、考えが相手に伝わることはありませんし、
捕鯨に関しては、そもそも考え方が違うのですから、粘り強く、
理解してくれるようになるまで説明、交渉を続けなければなりません。

 主張は争いではありません。お互いを理解する為の手段です。
 交渉の責任者は、今その瞬間のことだけでなく、将来の国や子孫のことも考えて、
主張を展開しなければなりません。簡単に折れてはいけないのです。

いずれは商業捕鯨が再開されると思います。ただ、そうなったときに日本の捕鯨のノウハウが
残っているかは甚だ疑問です。今の若者で捕鯨船に乗りたいと思う人はまず居ないでしょう。
経験、ノウハウが散逸すれば、それを取り戻すには多くの時間が掛かります。

 もう、悪い意味で「大人しく」、「潔い」日本人はやめてもいいのではないでしょうか?
ケンカはしないまでも、正々堂々、言うべきことは言って権利を主張し、勝ち取らなければなりません。
 未来のためにも今の世代は、泥臭く、ねちっこくがんばらなければいけないのです。

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