COLUMN

疑う事をサボらない

2013年12月

 先日、東京工業大学の鈴木正昭先生をお招きし、
久しぶりとなる当会主催の講演会を開催しました。
 タイトルは、『これからどうする「日本の原子力」』でした。
先生は講演の中で、
「技術には必ず便益とリスクがある。どこで線を引くかが問題である」
との提言をされていました。
 例えばですが、車であっても飛行機であっても、
大きな金属の塊が人を乗せて生活圏を移動するわけですから、死傷事故は必ず起きます。
だからと言って、車や飛行機を廃止にしようとする動きはありません。
 また、レントゲン撮影では軽度の被爆が伴います。
レントゲンの場合は、“被ばく”による発がんリスクより、
レントゲンによる病状などの把握の方がメリットが大きいとして容認されている、
といった見方も出来ます。
 先生の提言は、技術の便益もリスクも“よく理解した上で”選択すべし、といったことでした。
 何もしなければ何も変わりませんが、世の中は一向に進歩しません。
原発については、既に何歩も踏み出してしまっているので、今更無かったことには出来ません。
進むにも、止めるにも、リスクを“よく理解した上で”選択を行わなければならないのだと思います。

 さて、前置きが随分と長くなってしまいましたが、
今回のタイトルの「疑う事をサボらない」は先日、ある本を読んでいたときに出会った言葉です。
 前述の先生の提言には、“よく理解した上で”との大前提がありますが、
物事をよく理解する=正しく理解する、といったことは、案外難しいものです。
 1つの事象においても、見る人や、立場によって、何が正しいかは変わってしまうので致し方無いことではあります。
メディアやインターネットから発信される情報もこの影響を必ず受けてしまうので厄介です。
 例えば、もっともらしい情報として、統計値があります。
経済であれば、経済成長率や失業率、生活に関わることであれば平均年収や出生率などが代表格では無いでしょうか?
 統計は、そもそもの前提条件を誤認すれば、正しい情報を得ることはできません。
 隣国の経済成長率が7.5%に“鈍った”として、「もう終わった」論がよく聞かれますが、
日本の方が経済規模が小さく、且つ成長率2%を目指しているような状況です。
陸上で言えば、先を走るランナーの方が足が速いのです。
そのうち息切れはするでしょうが、現時点の数字を見るのであれば、“自分の足の遅さ”の方を気にすべきです。
 先般、出生率が16年ぶりに1.4を超えたとして歓迎する風潮の記事がありましたが、
1.4では、日本人の減少するペースがほんの少しだけ“鈍った”に過ぎません。
 経済成長率は、プラスである限り鈍っても増加ですが、出生率は2を切る限り減少です。
しかも、以前に比べ若い世代の人口が減っている為、例え2を超えたとしても、当面は人口は減り続けます。
 平均年収の話しも、昨今は主婦などの就業率が上がったことでパートなどの就業形態が増え、
それが平均値を押し下げていることを頭に入れておかなければなりません。
 このように、統計値は、数値のスタート地点や定義、母集団の捉え方によって、
“都合よく”見え方が変わってしまいます。
 メディアには、もっと“正しく情報が伝わるように”努力して貰いたいと思いますが、
メディアもビジネスですから、視聴率などが上がり、
市場から“評価される”ことを意識して報道を行っている面は常に考慮しておかなければなりません。
 新聞やTVに出てくるグラフや数値は、例え事実が誤認されたとしても、
人目を引くことを優先した見せ方で並べたてられていることが多いと感じます。
論調も横並びになりがちなので、それが誤認に拍車をかけています。
 みなさんも、身近な大田区絡みの報道であれば、
「あれ、なんだか間違ったことを言ってるぞ」などと感じたことがあるのではないでしょうか?
一事が万事で、様々な報道で、「あれ、言ってることが変だぞ」と感じることはよくあります。
ウソは少ないにしても、誇張や紛らわしい表現はよくあるのです。
 つまるところ、どの様な情報であっても、まずは自分の頭で考えなければなりません。
「常に自分の頭で考える」=「疑う事をサボらない」ということです。

 白州次郎は太平洋戦争への突入の不可避と敗戦を予測し、
食料不足への対策から終戦時には田舎で農民生活をしていたそうです。
情報の乏しいあの時代に、大した情報力と行動力です。

 何事も自分の頭で考えるクセをつけ、疑う事をサボってはいけません。
そして行動することを恐れてもいけません。
 たったこれだけで、今後の選択は大きく変わってくるのではないでしょうか?

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