COLUMN

時間軸を持ってモノを考える

2012年12月

今回の衆議院選挙はどの党が勝つのでしょうか?
この新聞が配布される12月20日過ぎには既に結果は出ていますね。
ちなみにこの原稿を書いている今現在は12月7日です。
さて、気になる結果に先立ち、今思うことを書いてみます。
実は僕はこの選挙戦の勝敗自体には興味がありません。
正確に書くと、気にはなっていますが、残念ながらどの党が勝っても結果はあまり変わらないと思っています。
なぜかと言えば、どの党の公約にも決定的に、いえ、致命的に欠落しているモノがあると思うからです。
それは、時間軸を持ってモノ(政策)を考えるということです。つまり未来を考えるということ。
政治家を選んでいる日本人全般にも言えることなのかも知れませんが、
今現在では無く、「今現在」の選択が「未来」にどう繋がっていくかを、
しっかりと自分の言葉で考えている日本人はどの程度いるでしょうか?
刹那的に反原発や反TPP、消費税増税反対などを叫んでも、具体的な代替案がなければ選択にはなりません。
反対すること自体には、実は何も意味が無いのです。
消去法的な選択は選択とは言えず、未来を考えないことは思考の停止であり、
競争社会においては現状を維持することすら実現できません。
選挙の際に投票したい候補が居ない(もしくは少ない)のでは選挙の意味はないのです。
例えばですが、皆さんがケーキバイキングに行ったとしましょう。
色々なケーキが並べられていますが、多くのケーキが腐っていたとしたらどうしますか?
しかも返金はおろか、食べずに店を出ることも許されない状態だとしたら…
店の名前は「日本」です。入る店を間違えた、では済みません。
メニューには至る所に「ご自由にお選び下さい」と書かれていますが、
実は選択を行う際の大前提にすらたどり着いていないことに気づかなければなりません。
当然ながらこんな店が本当にあったら間違いなく潰れます。

残念ながら、こういった状況をつくり上げてきたのは、民主主義の主役である私達国民です。
民主主義というと「弱者を助ける政治」のようなイメージがありますが、
現在の最大の強者は、一般には弱者に分類されがちな高齢者や労働者層ではないかと思っています。
多数決を基本ルールとすると、ボリュームの大きい層の声が強くなると言う意味では間違っていないと思います。
人口の3割を超えるボリュームを持つ60歳以上の世代は果たして弱者でしょうか?
よく「使用者」と「労働者」の議論がありますが、
6,300万人も居る労働者は、それを一つのグループとみなせば、大変な強者です。
「使用者」=「資本家」であった時代はとうの昔に終わっています。
例えば、社会保障を削減しようとすれば直ちに「弱者いじめ」のそしりを受けます。
本当に弱者の立場の方も居ることは理解しますが、それ以外の方は本当に弱者でしょうか?
強者の集団に属し、正当な理由なく社会貢献の低い人達は、間違いなく既得権益層と言えるでしょう。
強者が自分達の「今現在」だけを考えていて良いのでしょうか?

年金は今のルールのままでは継続不能です。赤字国債の発行もそろそろ限界点に到達します。
農業の戸別補償制度も財源が尽きれば崩壊です。生活保護だって同じことです。
失業保険は保険料で賄われていますが、それとて受給者が増えれば破たんします。
これらの事業はまったく同じことを僕がやればネズミ講で捕まります。
国がやれば許されるのでしょうか?
どちらがやってもいずれ破たんするという結果は同じです。
入りより出が多い事業は継続できるわけがないのです。
何代か先の首相が「想定外」とか「学べば学ぶほど実現が困難だということが分かった」
などと言って謝罪すれば国民は納得するのでしょうか。

これから経済環境はさらに厳しくなっていくと思います。
一時的に上向くことはあっても、中期のトレンドは間違いなく下向きです。
思考の時間軸を今よりも少し未来に伸ばし、今何をすべきかを考え、即行動することです。
他人や経済環境のせいにしても、そこからは何も生まれません。
選挙は未来を選択する重要な手段です。但し、一手段にしかすぎないとも言えます。
これからの日本はこれまでの日本ではあり得ません。厳しい時代を生き抜くために、
時間軸の発想を持って今何をすべきかを考えましょう。
今日の自分が明日の自分に繋がります。
自ら視野を狭めなければ、未来は選択肢に満ちています。
何を選ぶかはその人自身の決断です。

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