COLUMN

勉強が大切だ

2011年08月

先日ある会合で、原発事故の話を聞く機会がありました。講師の先生は、「科学技術には必ずリスクがあり、便益とリスクにどこで線引きするかが重要である。」「(国民の)1人1人がメリットとデメリットを理解したうえで是非を検討すべきである。」と仰っていました。
加えて印象的だったのは、「民主主義では皆が勉強しなければならない。」とお話されていたことでした。

民主主義の名の下、政治が民衆の行うものとなってからは、国の舵取り役は(制度上は選挙を通して)国民一人一人に移っています。
「舵取り役」が航海に無知、もしくは舵取りに無関心だと、その船は漂流するか座礁するか、最悪の場合は沈没することになります。
民主主義においては、舵取り役である国民が勉強家でなければ、誤った判断が延々と行われることになります。または勉強家であっても政治に無関心であれば同じことです。
政治の結果に対する責任は、望むと望まざるとに関わらず、既に国民に移っているのです。

日本の現状はどうでしょう。
今回、原発が大きな問題になっていますが、これまで内在するリスクに目が行かなかったのはなぜでしょうか?
年金問題が少子高齢化で制度疲労を起こしていても、財政が破綻しそうなほどに国の借金が拡大していても、世界が食糧難の時代に突入しているのに減反をしていても、なんら抜本的な改革がされないのはなぜでしょうか?
もしかすると、多くの人は危機感さえ、あまり持っていないのかも知れません。

少し身近な問題として例えてみます、
ここに年収480万円の人が居ます。この人が銀行から“毎年”440万円を借りることは可能でしょうか?更にその人に既に9,240万円の借金があればどうでしょう?しかもその人が借入返済以外に生活費に710万円も使っていて、しかもその生活費が年々増加していたとしたら。。。
銀行は絶対に貸しませんし、この人が家族か友人なら、「借金する前に家計を見直せ」とアドバイスをすることでしょう。(すでに手遅れかも知れませんが。。。)

誰が見ても異常な状況ですが、日本という国ではこの状況が平然と起きています。
前述の数字をそれぞれ1,000万倍にすると、ちょうど日本の台所事情となります。
日本は対外債務が少なく、個人資産が1,400兆円あるから大丈夫だ、と言う人がいますが、個人資産はあくまで個人のものであって、国のお金ではありません。
先に書いた年収480万円の人が、「友達に1億3,000万円持っている奴がいるから俺は大丈夫だ」と言いながら、毎年710万円を湯水の如く自分の生活費として使っている状況は、普通では絶対に許されません。
なぜこのようなことが起きるかというと、誰もが“自分の問題として”現実を見ていないからでは無いでしょうか?
その結果、無知、無関心が世に蔓延しています。
民主主義なのに、です。

民主主義という制度も原発と一緒で、いいところばかりではありません。
しっかりと運用しなければデメリットが露出します。皆が無関心だと、国が漂流します。一方、人数が多い分、責任は分散するので問題意識が低くなります。
技術だけではなく、制度にもメリットとデメリットがあるのです。
誰かのせいにしようにも舵取り役は自分です。失敗すれば国外からは「自業自得でしょ」と言われておしまいです。
この国で起きていることは全て“自分達の問題として”捉える必要があります。
無知・無関心は通らないのです。

制度を上手く運用するには勉強が必要です。舵取り役が自分達となった瞬間から、全てを自分達で選んでいるのです。適切に運用する能力と、結果に対する責任が求められるようになるのです。

ちなみに、経営もしかりです。責任は誰も取ってくれませんからね。
従業員の方も、今の会社に居ることを選んでいるのは自分なのですよ。

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