COLUMN

本質とは

2011年06月

早いもので、事務局長に就任してから1年が経ち、お蔭様で任期も1年延びました。
この間、皆様の暖かいご指導とご協力を頂き、運営してこれましたこと、改めて御礼申し上げます。
「独り言」もPartⅡとして、懲りもせずに続けたいと思いますので、もうしばらくお付き合い頂ければ幸いです。

さて、今回は最近違和感を感じていることについて書いてみたいと思います。
東日本大震災から早くも3ヶ月が経ちました。地震、津波により発生した被害は甚大であり、正常化まであとどれくらいの年月が掛かるのか、想像もつかないような状態です。
そんな中、福島第一原発事故の問題が、“日本の電力問題”としてさらに大きな問題に発展しつつあります。各地の原発も定期点検後の稼動に自治体が難色を示したことなどにより、ついには北海道や沖縄など一部の地域を除き、今夏の電力不足が全国的な問題として顕在化してきました。

さて、ここで気になるのが、原子力はそもそも、絶対に安全な完成した技術だったでしょうか?ということです。僕の記憶の中では、日本の原子力政策は「使用済みの核燃料は比較的半減期が短いものでも数十年単位の管理が必要だし、核燃料サイクルもまだまだ実用化には時間が掛かりそうだ」という認識の中での“見切り発車”をしていた筈です。
少なくとも「完成した技術では無い」中でのスタートだった筈なのです。これは安全性についても同様です。
原発は元々メリットとデメリットがあるシステムです。それでも導入を進めたのは日本の安定した電力供給を支える上で多大なメリットがあった為であり、問題は、原発が持つマイナスの部分をうやむやにし、きちんとした議論をせずして導入を優先してきた、これまでの導入の仕方にあったのだと思っています。
日本はものづくりの国であり、大田区には電気が無くても動く工場は恐らく1ヵ所も無いと思います。資源の無い国ですから、価値はものづくりによって生み出し、その広い産業の裾野のお陰で日々の消費が行われていると言っても過言ではありません。
原発への電力依存は3割に達します。3割の電力を直ちに他の手段で賄うことは難しいでしょう。随分前の「独り言」で書きましたが日本は食料自給率が40%、エネルギー自給率はわずか4%の国です。生産活動の低下は国としての購買力の低下を招き、さらには国力の低下に直結します。
反省すべき点は、リスクのある政策をとったことでは無く、リスクに蓋をしたまま本質的な議論を避け、甘い汁だけを吸おうとしたプロセスにあったと思っています。
逆に問題が起きると今度はメリットに蓋をし、リスクがあるから原発を止めるという議論では短絡的過ぎます。
リスクはリスクとしてきちんと捉え、どうリスクを抑えるかの議論を行い、コストが掛かるのであればその見積を行い、その是非を検討する姿勢こそが重要だと思います。そもそも安心、安全にはコストは付き物です。
良いところばかりを見ていては、いざリスクが顕在化したときに対応が出来ません。
日本は今こそ失敗から学び、復興ではなく次の発展の為に次の一手を考えるときだと思います。

ちなみにこれは経営についても言えることです。最悪の場合を想定し、そこへの備えを考える。そうすることによって、少なくとも問題が発生したときの初動は早くなります。
問題解決は時間との戦いです。転ばぬ先の杖を用意するには、何が起きる可能性があるのかを常に考え、どんな杖を用意すれば良いかを知り、備えておく必要があるのです。

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